たすたすの読書録

読んだ本の感想を書く。

「決断力」 羽生善治著

 いつだったか忘れてしまいましたが(たぶん再放送とか)、何の気なしに見ていたプロフェッショナルがたまたま羽生善治先生の回でした。2003年の名人戦――森内九段との七番勝負。

 駒をどう動かせばいいのかすら全く知らない僕でしたが、一気に惹きこまれてしまいました。

 言ってしまえば、和室で着物姿の男性二人が盤を挟んで向かい合ったままひたすら動かない映像が延々と放送されているだけ。……なのですが、途中からはその和室の何万倍も広い空間で二人が将棋を指しているように錯覚しました。僕なんかには到底理解し尽くせない世界が思いがけず広がっていたので、"茫然自失"といった感じでしょうか。

 

 将棋の手は、10の220乗あるといわれています。

 一方、チェスは10の120乗。チェスよりもはるかに多いのは、"取った相手の駒も自由に使える"という将棋独自のルールによるもの。

 10の220乗は、全宇宙の素粒子よりも多い――というのは全宇宙の素粒子の数があくまで憶測でしかないので確実には言い切れませんが、それだけ途方もない数ということが言いたいのでしょう。

 盤自体は小さいのですが、そこには宇宙よりも広大な世界が広がっていたのですねえ……なんて、恥ずかしいこと言ってみました。

 羽生先生と森内九段の二人がその手筋を全て知っているわけでないのは言うまでもありませんが、少なくとも人類のなかでは誰よりも先頭で道を切り開き続けているような、そんな気がしたのです。

 

 公式戦で決して負けられない場面であるにもかかわらず、羽生先生が定石ではあり得ないような手を打ちました。誰もが経験してこなかった――混沌とした状況へと、わざと自ら持って行ったのです。

 公式戦が行われている最中、別室で他のプロ棋士たちが集まって盤面を見ながらあーだこーだと議論を交わすのが慣わしなのですが、羽生先生のこの一手以降、誰も何も言えなくなってしまいました。なにせ、何百年と続く歴史のなかで、このような盤面になったことは一度としてなかったからです。

 最先端にいる二人にしか分からない何かがあるのでしょうか――そのとき二人が目を合わせて思わず笑みを零したのです。僕はそのシーンに強く心を揺さぶられたのですが、後日談で「あのとき笑ったのはあまりにもお互いが考え込んでしまったために記録係の人が寝ちゃったから」という話を聞いて、僕のあの感動はなんだったんだろう……ってなりました。

 

 羽生先生は、どんなに負けられない公式戦でも決して守りに入ったりしません。

 これは悪く言えば成績が安定しないということですが、不思議なことに、それでも勝率七割を維持している棋士は羽生先生以外いません。常に攻め続ける姿勢があったからこそ、日進月歩で戦法の変わる将棋界でも息長く勝ち続け、永世七冠という偉業が成し遂げられたのだと思います。

 ここ一番での『羽生睨み』がとっても恐いのも、勝利を確信したときに手が震えるのも、大事な公式戦で寝癖をつけたまま登場するのも、その寝癖にファンから『アンテナ』という愛称がつけられるほどお馴染みとなった光景なのも、誰よりも謙虚なのも――まさしく僕が思い描く"天才像"そのものです。

 あと、将棋会館に行けば会えてしまう、というのも素敵。だからって、本当に会いに行ったら素敵度が半減しちゃうの、わかるかなあ、ヲタクのみんな。

「前まではちょっと遠い駅から(将棋会館まで)徒歩だったんですけど、もっと近い駅ができて、今ではそちらを利用しています」というのを照れ笑いしながらテレビで語る羽生先生が庶民的でなんだかほっこりしました。失礼ながら、この人も人間なんだなあ、と。

 『決断力』では、将棋だけに留まらない羽生先生の考え方や流儀が沢山学べます。この本に手をつける前に羽生先生にまつわる様々な文献を読んでいたので、僕の場合は新しい発見などはあまりなかったのですが、それでも羽生先生ご自身の文章だと重みが全く違います。

 

 ……んー、今日はただのファンの文章だわ。読み返してみたけど、なんか気持ち悪いね。なんだろう、好きなものを語るときのこの独特な気持ち悪さは。この辺にしておきましょうか。最後は、羽生語録の中から僕が特に好きなものをおひとつだけ。

 才能とは一般的に生まれつき持った能力のことをいいますが

私は、一番の才能とは同じペースで努力をし続けられる能力だと考えています。

 

f:id:tasutasudrum:20180930005621j:plain

決断力 (角川oneテーマ21) | 羽生 善治 |本 | 通販 | Amazon