たすたすの読書録

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「変身」 フランツ・カフカ著 高橋義孝訳

 ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。

 この冒頭の一文を読んだだけでも分かるように、どこか他人事というか、物語の終盤まで一貫して冷静な主人公・グレーゴルがなかなかにシュールで面白い。

 朝起きたら――視界の両端で無数の足がうじゃうじゃと、てんでばらばらに運動を続けていたら誰だって取り乱してしまうに違いありません。ですが、グレーゴルは自分が"キモくて巨大な褐色の害虫"になってしまったことは一旦置いといて、まずは仕事の愚痴を垂れます。外交販売員という難儀な職業に就いてしまった自身の身の上を呪い、まあそんなことを言っていても仕方がないと、今度はどうやって仕事に行こうかと考え始めます。

 

 え? それも大事だけど、まず、そこ? と、ツッコミたくなることこの上ありません。

 確かに、グレーゴルは一家の稼ぎ頭として父と母と妹を養おうとひたすら仕事一筋で打ち込んできた真面目すぎる青年です。頭の中が仕事だけになってしまうのは分からないでもないのですが……さすがに朝起きて自分が虫になっていたら、普通はまず驚くでしょ。

 事態を飲み込めていないわけではないのだけど――恐ろしいほどに落ち着いたグレーゴルと、その変わり果てた姿に取り乱す家族との対比が、どこか気味の悪いコントを観させられている気分。ドミナントコードだけで曲作っちゃいましたみたいな、その不安定さが嫌いではないのですが。

 

 息子の姿を視界に捕らえた母は気を失ってしまい、父は杖でしっしっと追いやってしまう始末。仕方のない気もしますが……。

 そんな中、妹だけは兄の姿に怯えつつも献身的に世話を続けてくれます。ですが、"中身は兄だ"と理屈では分かっていながらも、ビジュアルのキモさ故に――次第に"兄"というよりも"虫"の世話をさせられている気分になり、なにやってんだろう自分とふと我に返ってしまったのか――雑な仕事が目立つようになり、頼みの綱だった妹さえも離れていってしまいます(それでもまあ、よく頑張ってくれたほうだとは思いますが……)。

 なぜ虫になってしまったのかという謎は謎のままで、相変わらず虫の描写はリアルで、シティーボーイの僕からすれば眉間に皺を寄せずにはいられませんでした。

 

 あのラストを悲しい結末として演出しようと思えばいくらでも装飾はできるのでしょうが、カフカ先生の事実のみを伝えていく無機質な文体が寧ろ強烈な印象を残してくれますね。悲しいだけで終わらない、なんとも不思議な読後感です。

 だからこそ、特にこの作品は今もなお様々な解釈が飛び交っているのでしょう。

 僕なりの解釈をいえば、これは当の本人たちにとっては十二分に悲劇ではあるのだけれど、カフカ先生はそこに"それを傍から観察する主人公"という異質な存在を描くことによって喜劇として成立させた『悲喜劇』ではないか――と感じております。悲しい場面ではあるのだけれど、いかんせんグレーゴルが冷静すぎて、そのギャップで笑いがこみ上げてくるのですが……不謹慎でしょうか?

 ほかにも、大戦下におけるドイツ人を表しているだとか、人によって解釈がばらばらです。調べてみると、ほー、そういう考え方もできるのかと、面白いかもしれません。

 ちなみに、カフカ先生はこの作品を知人に読み聞かせるときは爆笑しながら読んでいたとのことなので、もしかしたら喜劇として書いていたのかもしれません。答えはどこにもありません。 

 

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